令和5年7月閉店の長崎屋を市民の記憶に
この年、帯広市は大きな激震に3度も襲われることになりました。一つは老舗デパート・藤丸の閉店。そして後を追うように突然決まった長崎屋の閉店。さらにイトーヨーカドーまでもが令和6年6月閉店の発表。特に駅前のランドスケープであった長崎屋帯広店の閉店は、その後のビルの取り壊しも囁かれ、一商業施設の閉店という意味合いのみならず、帯広の歴史の転換点ともいえるでしょう。
寂しげでありながらもテナントたちはまだ元気
訪れたのはちょうど閉店15日前。閉店前の売りつくしのため、がらんどうとなった陳列棚が哀愁を誘いますが、この当時は多くのテナントが通常営業しておりました。子どもたちの歓声も聞こえ、長崎屋の存在がいかに市民の幸せのシンボルだったのかを思い出させてくれます。
長崎屋の屋上は、帯広の営みを見下ろす地図でした
最後に、長崎屋の屋上から捉えた花火大会、そして私がはじめてミラーレスカメラ・ZV-E10を購入し、撮影の練習に訪れた時の映像を紹介しております。長崎屋帯広店は、駐車場を無料で開放していたため、買い物の主体が郊外へ移る中、中心街の人手を支えてくれた貴重な施設でした。この記事を書いている令和6年4月現在、すべてのテナントは退去しビルは完全閉鎖となっています。これから先どうなるのか想像できませんが、長崎屋が培ってきた精神が新しい形で引き継がれることを切に願います。
おまけ…長崎屋愛が逮捕のきかっけに!?
ビル完全閉鎖前の様子を見に行ったところ、通報されそうになった映像です。そしてもう一つ、フリードおやじからの、長崎屋跡地の提言も載せておきます。
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